ヒストリー

創設から現在にいたるまで、五十鈴グループの歩んできた姿を時期ごとに解説、ご紹介します。

五十鈴グループの歴史を
年表形式でご紹介します。

創業~拡大期 コイルセンターとして、 「世の中にとって必要な存在」となるために
創業~拡大期 コイルセンターとして、 「世の中にとって必要な存在」と なるために
創業~拡大期 コイルセンターとして、「世の中にとって必要な存在」となるために

終戦の荒廃した日本は、事業を志す者には大きな夢をはらんだ時代でもあった。軍人から一民間人となった鈴木實は、「国がどう変わろうと、時代がどう移ろうと、常に必要な存在であり、世のため人のためとなりたい」という志を内に秘め、義兄に誘われ商売の世界に身を投じ、持ち前の思い切りの良さと度胸で存分に手腕を発揮する。このときの注文の第1号が薄板の調達であった。富士製鐵(現日本製鉄)の広畑製鉄所に新鋭の圧延機が導入され、鈴木實はこれを見て「鉄に革命が来る」と予感したのだ。事業の道を拓く「薄板」との出会いはここからはじまる。その後、不二商事(現在の三菱商事)の寺島氏との出会いが鈴木實の運命を大きく変えた。薄板に本格参入しようとする不二商事へ飛び込み同然で面会に行った際、対応してくれたのが寺島氏であった。寺島氏は鈴木實の話をじっくりと聞いた後、初対面で取引きと融資を約束してくれた。鈴木は感激し、必ず寺島部長の知遇に応えようと堅く心に誓ったという。こうして五十鈴鋼材は、特約店の看板を掲げることになり、以後不二商事は、昭和29年1月の富士製鐵広畑製鉄所のコールドストリップミル稼働に伴い、薄板取扱いを富士製鐵製品中心に本格的な業容の拡大を開始した。

五十鈴鋼材創業

五十鈴鋼材創業

日本経済は高度成長期に入り、自動車、家電製品、鋼製家具といった商品が一般家庭に浸透し、薄板の需要は大いに盛況を見た。こうした中、自動車関連工場が規模に見合った広さを求め、京浜地区から内陸へ移動する動きが活性化するのを鈴木實は見逃さなかった。競合他社が京浜地区を拠点にするのをよそに、次々とユーザーに密着した営業所・加工拠点を開設。五十鈴はコイルセンターの先駆者的な役割を果たしていった。この成功には五十鈴の精神である「世の中に必要な存在となれ」が息づいている。

五十鈴スチールセンター 子安工場のレベラー

五十鈴スチールセンター 子安工場のレベラー

営業所・工場は12拠点に増え、社員も年々増員し、昭和45年には575名へ。また、五十鈴鋼材が一流企業のパートナーにふさわしい会社になるために経営基盤の確立を目指し、様々な社内的改善を実施した。管理機構の整備をはじめ社員のレベルアップを目指した各種教育、各種規程の制定など、五十鈴グループが近代経営基盤の構築に着手した時期でもあった。

営業所・工場の開設が進む(蒲田営業所)

営業所・工場の開設が進む(蒲田営業所)

昭和40年代後半から、ニクソンショック・第一次オイルショックと日本の経済環境は大きく変化するとともに、五十鈴鋼材は大胆な合理化策を迫られた。まず、第一次合理化策として4ヵ月で6営業所の統廃合・移転を実施、さらに第二次・第三次と合理化策を展開、内部体制の充実を図り、経営革新を重ねていった。
創業以来最大の経営の難局に直面した五十鈴グループは、万難を排して8支店体制を完成し、次なる目標の年商1,000億円達成に向けて、積極的な活動を展開する。それは、低成長期にも対応できる内部体質強化を目指した道のりでもあった。この大胆な政策転換は業界でも大きな話題となった。企業批判の風潮が強まりを見せるこの時期、鈴木實社長は普遍的な道徳観念が失われつつあることを危惧し、「社員諸君、この『マナー』と『エチケット』を全社員が身につけ『誇り高き会社』にしていこうではありませんか」と呼びかけた。このメッセージは刻々と変化する環境に不安を感じる全社員に向けて、心の豊かさの尊さを説き、五十鈴グループの目指すべき方向を明確に示すものであった。

五十鈴の合理化策を報じた鉄鋼新聞

五十鈴の合理化策を報じた鉄鋼新聞

円高不況から好況へと、わが国は再度大きな変化の波に洗われながら経済大国へと成長していった。五十鈴鋼材は、近代経営の集大成として「組織開発(OD)」の理論を導入。グループの今までの諸経験や今後強化すべき諸課題を理論的に組織的に明解に整理したのである。
綿密な組織診断の実施にはじまり、拠点単位での小集団活動「拠点開発活動」の導入や各種研修など、経営基盤の再構築のために様々な改革を実施した。この結果、ボトムアップの拡大とトップダウンが両立した活力ある組織体質が築かれ、新しい企業文化が芽生えはじめていく。

五十鈴の合理化策を報じた鉄鋼新聞

拠点開発活動を先導する鈴木貴士社長

五十鈴グループの組織開発はさらに大きな展開を遂げることとなる。五十鈴グループ全体の経営システムと中長期経営戦略の再構築を目指し、支店組織のSBU(戦略事業単位)構想を打ち出した。つまり、強い影響力のあるカリスマ経営者が率いる組織から、企業を構成する「個」がそれぞれに経営者マインドをもって思考し、行動する企業体への変化である。すなわちビジョナリーカンパニーへの転換が図られようとしていた。

コイルセンター部門8拠点を分社

コイルセンター部門8拠点を分社

組織基盤構築期 OD(組織開発)をベースに、 人と組織の差別化を目指して
組織基盤構築期 OD(組織開発)を ベースに、 人と組織の差別化を目指して
組織基盤構築期 OD(組織開発)をベースに、人と組織の差別化を目指して

日本経済は、大型景気から一転して不況に見舞われた。「複合不況」といわれる厳しい環境下で五十鈴鋼材は、創立40周年を迎えることとなる。この年、経営権が創業者鈴木實から鈴木貴士へバトンタッチし、社長交代とあわせて、CI導入・社名変更(五十鈴鋼材⇒五十鈴)も行われ、五十鈴グループにとって記念すべき節目の年となった。新社長の基本方針は、『創業者精神』を継承した普遍的な精神を今後も五十鈴グループの礎としながらも、時代の変化に対応するため「常識と組織をベースに、より柔軟に、より論理的に、より総合的に、より体系的な企業経営を目指す」という言葉に集約される。そして、あらたな変革を起こす時こそ「原点に返る~GET BACK TO BASICS~」、すなわち社訓の実践を第一に考え、組織の外の声と内の声から組織の現実を把握する必要があるとし、CS(Customer Satisfaction)とES(Employer Satisfaction)のアンケートを行い、CS活動の強化を重点施策として推進していった。

創業者 鈴木實から鈴木貴士に社長交代

創業者 鈴木實から鈴木貴士に社長交代

基本方針は「販売機能の充実」、キャッチフレーズは「ファンクション・ファースト(F1)」、CS活動をベースに組織全体がお客さまの方を向き満足いただけるサービスを提供していくこと。それは、五十鈴グループが真に機能を発揮し、経営の質向上をねらったものであった。そしてCSアンケートを足がかりとして、社訓「お得意さんに誠意を尽くそう」を全社で実践していくこととした。

CS起動班を各拠点に配置、CS活動本格スタート

CS起動班を各拠点に配置、CS活動本格スタート

新基幹システムIBICS稼働、魅せる工場づくり、加工賃で喰える体制づくり、生産・業務・営業の三位一体、顧客・市場のニーズに即応できる『情報組織』の構築などにも着手。また、五十鈴グループは企業家育成を目的に分社化を行っていたが、会社内の分社化ともいえる「チーム制」を導入。これまでの部課制を廃止し、チームリーダーとしての職務遂行能力・マネジメント能力があれば管理職のみならず一般職でもリーダーとなれる機会をつくることで、若い一般職のリーダーを多数輩出した。

チーム制導入にともないチームリーダー研修実施

チーム制導入にともないチームリーダー研修実施

1992年の40周年から1998年までは、五十鈴グループにとって機能充実や組織体制づくりと内部体制を確固たるものとする時代であった。そしてその集大成として三菱商事(現在はメタルワン)からの大幅な資本拡充を行い、資本家(株主)を外においた経営へと変革を行うこととなる。当時、五十鈴の抱える課題は多く、両者のパートナーシップを高めた相互の協力の下で戦略的に展開していくことが不可欠だったのである。グローバルスタンダードが求められる社会的状況の中で、これまでの鈴木家をオーナーとする個人経営から三菱商事の子会社となることで「資本と経営」を分離。経営の健全性・透明性を強化するため、執行役員制度を導入して経営と執行の分離を図り、経営と執行の両者がそれぞれの責任を全うするようにしていった。五十鈴コーポレートガバナンスの実現を目指したこの大いなる決断は、名実ともにビジョナリーカンパニーへの歩みを加速させることとなる。

三菱商事の出資比率拡大を報じる業界紙

三菱商事の出資比率拡大を報じる業界紙

ビジョン・戦略具現化期 OD(組織開発)からOC(組織変革)へ、 全社員の経営参画を加速して
ビジョン・戦略具現化期 OD(組織開 発)からOC(組織変革)へ、 全社員の経営参画を加速して
ビジョン・戦略具現化期 OD(組織開発)からOC(組織変革)へ、全社員の経営参画を加速して

21世紀の幕明け。依然、低迷する経済環境の中で、グローバル化の波は日本企業にも押し寄せていた。その中で、五十鈴はミッション・ステートメントを「鋼板流通サービスで社会に貢献するビジョナリーカンパニー五十鈴グループ」と改定し、自社らしい経営を貫き、これからの時代の「必要な存在」になるためのあらたな挑戦に踏みだした。

拠点開発活動からIOCへの転換

拠点開発活動からIOCへの転換

その一環として、従来のコイルセンター事業から「鋼板流通サービス事業への転換」を果たすことを宣言し、サービス業(サービスセンター)としての自分たちの価値や可能性を問い直し、中期を見据えた挑戦がはじまった。あわせて小集団活動も、内部の変革を対象とし、単年度の活動で組織としての一体感を高める「OD(会開発)活動」から、マーケットの変化や将来ありたい姿を基準に、中期スパンで戦略を実現する「IOC(五十鈴組織変革)活動」へと転換することになった。これにより大きく自分たちの考え方・活動の転換を求められることになる。

社員総会で新ミッションを発表する21世紀委員会

社員総会で新ミッションを発表する21世紀委員会

試行錯誤を重ね、徐々に転換が図られつつあった2003年。若き管理者が集まり、五十鈴の理念・社訓の意味や価値を問う「理念創造ワークショップ」が発足した。「自会の仕事」としてではなく、「グループの経営」に多くの社員が参画する7つの「協創プロジェクト」である。

理念創造ワークショップで議論する

理念創造ワークショップで議論する

「五十鈴ファンを増やす工場案内・接客」「世界に通用する人財の早期輩出」「労災事故【0】の職場創り」など、若手からベテラン、営業・事務・生産、あらゆるメンバーが五十鈴グループの進化を皆で考える。ここから自然発生的に会社を超えた「協創」が繰り広げられることとなる。また、五十鈴グループでは、コンプライアンスの重要性が叫ばれる時代の要請に応えるため、単にルールを守るという表面上の活動ではなく、創業者精神でもある組織としての「エチケット・マナー」「王道を行く」の言葉の実践として、自社らしい内部統制やコンプライアンスを検討し、整備した。

「五十鈴ファン」を増やすための工場案内を考える協創プロジェクト

「五十鈴ファン」を増やすための工場案内を考える
協創プロジェクト

五十鈴の目指すグループ経営の基盤が整ってきた時期。「協創」の形も「お客さまとの価値づくりの協創」へと進化が求められるようになる。そのためにはお客さまに一番近い各社(拠点)の経営を独自性ある内容へ変えていく必要があった。

基幹業務システム「ATOM」

基幹業務システム「ATOM」

2006年に「拠点OCプラン」をスタート、2007年1月には、2001年から構想してきた基幹システム「ATOM」が稼働。お客さまの価値向上を推進していくインフラが整った。そして、一人ひとりの人財の価値を高めていく「IVC(五十鈴人財価値創造)活動」がスタートした。さらに2009年には、これまでの組織づくり(IOC)と人づくり(IVC)が作用し合うあらたな仕組みとして、五十鈴オリジナルの「HRM(ヒューマン・リソース・マネジメント)」がスタートした。さらに2006年から、五十鈴グループのノウハウを活かした海外コイルセンターへのソリューション展開などのあらたな動きも生まれ、ビジョン・戦略を具現化していくために組織の価値、一人ひとりの価値がさらなる大きな価値へと連鎖していく経営の仕組みが形になったのである。

未来共創期 未来への価値づくりの共創がはじまった
未来共創期 未来への 価値づくりの共創がはじまった
未来共創期 未来への価値づくりの共創がはじまった

リーマンショックに端を発した不況からかすかな光が見え、あらたな10年がはじまった。2010年4月、グループで、個別に取り組んでいた「内部統制」「コンプライアンス」「情報セキュリティ」「リスクマネジメント」などをCSR推進体制として組織化した。これは「社会に対して悪しきことをしない」ではなく、「社会に対して良きことを為す」ことで、企業として社会的責任を果たすための活動である。同年6月、2008年から各社の経営層が話し合いを続けてきた今後10年の自社の姿を「長期経営目標」として発表。「明るく、素直に、豊かな心で世界と協生・協栄するビジョナリーカンパニー」というミッション・ステートメントは、鋼板流通に捉われず、世界をフィールドにお客さまの「Will~成し遂げたい大志~」を実現したいという思いから生まれた。これまでも、そしてこれからも「人も組織も常に世の中に必要な存在でありたい」という思いを掲げ、ビジョナリーカンパニーを目指し続ける五十鈴は自らを進化させ、お客さまとともに未来を創り続けていく。

国内外から多数見学、活性化するショールーム活動

国内外から多数見学、活性化するショールーム活動

未来社会協進期 未来社会創造企業を目指して
未来社会協進期 未来社会創造企業を目指して
未来社会協進期 未来社会創造企業を目指して

2010年からの長期経営目標「Will-Navi」の全員参画による推進で、コイルセンターやサービスセンターとしての鉄を中心としたビジネスに限定することなく、「バリュー(価値)」を起点にビジネス領域を拡大する「バリューセンター(VC)」としての業容・業態拡大を図り、バリューセンターとしての価値観・行動規範、組織基盤を確立していった。そのゴールの年となる2020年度を目前に、突如世界中に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威を振るった。五十鈴グループも対面業界である鉄鋼業界や自動車業界の低迷の影響を受けたが、コロナ禍においても新常態の中で、IOC(組織変革)活動などさまざまなバリュー創造活動を継続し、いよいよ2021年度からはあらたな長期ビジョンを始動、更なる環境変化が予測される中、よりよい未来社会づくりへの参画を目指し、世の中に先んじて自ら変異と適応を繰り返し、多様なパートナーと共にその実現に向けて動き出している。

そして2022年1月21日、
五十鈴は創立70周年を迎え、
「第三の創業」として
グループとしての新たな進化・成長
への歩みをはじめた。